これから学校に帰ります。
到着予定は15:20ごろになります。
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到着予定は15:20ごろになります。
とても素敵な公園です。
愛情たっぷりのお弁当を美味しくいただきました。
ケイエスケイ株式会社を見学させていただきました。
30日の南日本新聞掲載記事より。
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「航空管制技術官」採用試験
高3で初の合格者 鹿水産高から3人
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その1人が,本校卒業生の「冨永海太」さん。
(新聞コメントより)
冨永さんは「乗客の安全を守るという重い責任を自覚し,業務に当たりたい」と意気込む。
30日8:50。50名全員笑顔で秋の一日遠足に出発!
(明け方の大雨もあがり,青空が見えます。)
阿久根市のグローブ製造会社や番所丘公園に行きます。
「遠足に 笑顔でピース 出発す」
<学校にあるアルバムから懐かしの写真を少しずつ紹介>
「学校アルバム1971・1973・1980」から
1971 体育祭 男子組体操
1973 新校舎建築工事
1980 忍耐と根性の長島一周強歩大会
S45 長島一周強歩大会がはじまりました。ではどうやってはじまったのか?
(平成28年度文化祭での職員劇でこの場面も再現しました。)
きびしい冬 1月の午後 ストーブ用の木を山で切った後,職員室に帰ってきた先生たちの会話です。ストーブを囲んで
「(大声で)子どもんしは あんな大木を運ぶ体力や気力があっどかい?」
「子どもんしは 近頃は歩かんで 車によう乗せてもらい学校に来ちょっで 歩ききらんじゃろう」
「ほんのこって あるかんごてなった!」
「おまんさあ達がそういうなら歩かせてみてはどうか?」
(一瞬静まりかえり,異口同音に)
「それがよか」「よかが」
こうやってその年に強歩大会がはじまりました。
当時は,車が通るとほこりで真っ白になったり,おにぎりとたくあんの昼食もどんな食べ物よりもおいしかったとその当時の先生が言っていたそうです。
その伝統は今でも永続されています.
2年生美術で絵手紙に挑戦しました。(自然を素材に)
絵手紙の横には手作りの消しゴム印も押されています。
※ 14名の全作品はコンテストに出品予定です。
人の在り方 2年 岩下 海
私はかつて,大きな病気と闘った。三歳の時,医者から「変な心音がする。」と言われ病気が分かった。心臓の弁に,米粒程の穴が開いており,ラッキーな場合,自然に治ってしまうこともあると聞いたので,それほど難しく考えていなかった。
しかし,病気が発覚してから十年後,階段を登ると息切れしたり,不整脈だったりと,異変が起こり始めた。そして,小学六年生の春に手術することになった。手術の日,私に,母は,「大丈夫だから,お母さんもばあちゃんもいるから,心配しなくていいよ。」と言ってくれた。私は,その言葉で安心し,前向きな気持ちで手術にむかった。
いろいろな人のお見舞や,手紙に勇気付けられ,今でもとても感謝している。,一番感謝しているのは,毎日毎日看病してくれた母と祖母だ。いつまでも,感謝の気持ちを忘れずに少しずつ恩返ししていきたい。
「人という字は人と人が支え合っている」と言われる。だが,世の中,みんながみんな同じ考えではないのが当たり前だ。中には,人という字は,片方が楽をしているように見えるという人もいるかもしれない。
しかし,私にとって人という字は昔の自分を表している気がする。病気になった私を,支えてくれた人たちがいたからこそ,今の自分があると思う。人の在り方は,苦労して,倒れそうな人を支えてあげるという助け合いの心だと思う。これが,私が病気になり気付いた,これからの世界に広げるべき,人の在り方だ。
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